大切な人のケアの仕方

  • HOME
  • 大切な人のケアの仕方

大切な人の体調が悪くなったら

 自分の大切な人が、体調を崩したら、誰もが気にする。全く気にならないのであれば、その人が、自分にとって大切ではないからである。大切な人の体調が気になったら、その人に対して、何らかのケアをしてあげると思うが、その前に、気づいておきたいことがある。

 最初に、自分がケアをしてあげなくても、大切な人は大丈夫だとしたらということを考えておきたい。自分が行動しなくても、大切な人が大丈夫なら、何をしたいかということである。大切な人は、自分でケアしたいかもしれない。自分のケアでは、不十分かもしれないし、不適切かもしれないし、最悪、悪くするかもしれない。自分ではなく、第三者の方が、大切な人の復調が早いかもしれない。

 一番の対処法は、どうしても、何がなんでも、大切な人にやってあげたいことができるまで待つことである。どうしても、何がなんでも、何としてでもという気持ちが起こらなければ、何もしないということである。自分の積極的な行動でなくても、自然な流れで、意図しなくても、ケアをすることになったり、そうせざるを得ない状況になれば、行動することに躊躇いはない。そうでなければ、緊急時以外は、じっくりと、ことの成り行きや、自分の感情を観ることである。

 人を変えるのに、弱い力であればあるほど、人は変わる。人を変えようとする自分や、第三者の言動は、一番強い力である。一番弱い力は、自分の感情、思考、意思を変えることである。大切な人を想う感情が揺らいだ時に、その感情を抑制するような言動をせず、その人を想っていれば良いのである。

【音声動画】

大切な人が失敗して落ち込んでいる時

 それが後々、失敗ではなく成功へのステップであったとしても、思う通りにできなかったという事実を、楽しむことができない人の方が、多いと思う。大切な人が、そう落ち込んでいる時であれば、その心のキズを、代わって引き受けてあげられればと想う人もいるだろう。それほど、望んでいた結果を得られなかった精神的ショックは、傷は癒えたと思えど、何度も思い出しては、感情が大きく揺らいでしまうものである。

 まず、失敗して落ち込むことが悪いことではない。そして、良いことでもない。失敗を自覚するまでは、一所懸命勝とうとすることを楽しんだのだから、結果に一喜一憂しないことである。結果を求めるのではなく、やりたいことができていること自体を楽しむのである。たくさんお金を稼ぐことが良いこと、勝ち続けることが良いこと、どんな人にも優しいことが良いこと。そうではない。やりたいことを、やり続けていることを、楽しめていることが、良いことなのである。

 失敗して落ち込んでいる自分の大切な人にかける言葉は、「楽しいことを探そう」だけである。言葉をかけずとも、自分が今を楽しむことを続けることである。人を変えたいと望む時は、自分以外にアプローチするのではなく、自分の心にだけ向き合うのである。向き合って、どうするのか?今何がやりたいかを見つけて、やりたいことができていることを楽しむだけである。

 人生において、周りの人の中には、ずっと病気の人もいる。大きな病気にかからない人もいる。どちらの人生が幸せかは、人には分からない。どんな人生でも、今を楽しめないと、幸せな人生だったとは思えないのではないだろうか?今を楽しもうとすることこそが努力であるなら、努力はすべきことであり、しなければいけないことだろう。

 何が起きても、何をしても、何をされても、大丈夫と、自然に微笑む自分が、理想の存在である。小さなことでイラッとする自分、容姿にコンプレックスを抱えている自分、貧乏な自分、どんな自分でも、全てをまるっと好きな自分である。

【音声動画】

大切な人に言いたいことがあったら

 自分との関係が、より強い、より深い人ほど、言いたいことは多くなる。日常の瑣末なことから、日頃の溜まりに溜まった想いなど、自分にとって大切な人だからこそ、分かち合いたい気持ちや考え、情報があるものである。

 自分の大切な人に、どう伝えるかが、その人との今後の関係を左右する。どのように伝えれば良いだろうか?伝えない方がいいこともあるのだろうか?一概に区別はできないが、心が平安である時に選択をすれば、自分にとってイヤなことは起こらない。大切な人に何をどう伝えるかを選択する前に、考えたいことがある。

 大切な人がいないことを仮定として考えることである。大切な人が、もし、いなかったら、今何をしたいか?もし、その人がいないなら、何を他の人に言いたいか?

 例えば、家事を手伝ってほしいと伝えたいとする。大切な人がいないことが仮定であれば、家事を手伝ってくれる人はいないので、言いたくても言えないということになる。また、他の人に家事を手伝ってほしいと言いたいわけではないので、誰にも何も言わないという選択になる。

 人を当てにすることが悪いと言っているわけではないし、何事もひとりでやらないければいけないと言っているわけではない。大切な人に何をどう伝えるかにおいて、いないことを仮定して考えると、感情的な言動により繋がりにくく、自分にとっていいことが起こる。

 人に頼むほど、つらいことや苦しいこと、イヤなことがあるなら、そもそも、それは、やらない方がいいのである。自分が無理をしない範囲内で、本当にやりたいと思って取り組めることを、楽しんでやればいいのである。イヤイヤやったり、イライラしながらやったりすることは、自らイヤなことを選択しているのである。

 心が平安である選択をし続けることが、大切な人との関係を、自分にとって良くしていく唯一の方法である。

【音声動画】